ポケタ~ンとしてたら、いつのまにか桜が満開で、あわててデジカメ持って奔走して候。
去年より1週間以上も早くね?そういう事は先に言ってくれないと困るでござるよ気象庁。
毎年いつも、ッしょ~もない仲間で花見ぽい事やるんだけど、今年は葉桜の下になりそう。

ま、葉桜だろうが何だろうが、べつにど~でもいいんだけどネ!

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桜、と言えばオイラはなぜか「花札」の絵を真っ先に思い浮かべるのですヨ。
いや花札とかで遊ぶことなんて滅多にないし、持ってもいないんだけどネ。
こいこいとかあんまりルールわかんないし。子供の頃に親戚と遊んだ程度の覚えです。

じゃあなんでそんなに連想するのかっていうと、やっぱりこう「絵」がいいんだろうネ!
カラフルでレトロでデザインセンスもあって、強烈に網膜に焼きつく感じがいいよネ!
ちなみにオイラが一番好きなのは「梅に鶯」です。

それでオイラ、昔っからアレだ、ん?なんだこれ?みたいに謎ってた札が数枚あってネ、
「松」と「梅」だっけかな?それの「赤短」っていう札がついた絵柄のやつ。
あの札に「あのよろし」って書いてあるわけ。

ついでに「桜」の「赤短」には「みなしの」って書いてあって、どういう意味?と。
で、ちょっと調べてみました。(ネット以外の文献がも~全然見つかんないのだ!)

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◆あきらかによろしいっっ!

ぱっと見やっぱり「あのよろし」だし、世間ではそれでだいたい通じてると思うんだけど。

実はコレ「あかよろし」と読むのが正しいのだそうです。
一見「の」に見えるコレ、よぉ~く見ると、「の」の上にチョンが付いてるでしょ?
これは旧かな(変体かな)で「か」と読むのだそうな。

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旧かなは日本古来から、一般かな(現用字体)とともにあったもので、今でも街中を歩くと、
たま~に老舗の風格をあらわすのに、屋号などに敢えて使われてたりします。あとそば屋とか。
(このあたりはまた機会があれば記事にしたりしなかったり)

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なので「あのよろし」は「あかよろし」ってわけ。じゃあ、あかよろしって何だ?と。
これは一説には「明らかに良い(優れている)」って事なんだそうな。
え?花札の赤短って、そんなに「よろしい」カンジの札だっけ?…



◆花札は長らくご禁制のものだったのだ!

この新たな謎を解明するには、まず「花札」の歴史をひもとく必要があるのじゃ。

花札の起源は古く、安土桃山時代(16世紀後半)とも、また室町時代(14世紀ごろ)とも言われ、
おそらくポルトガルから伝来した「カルタ」(カードゲームの意)の派生だと考えられています。
当時は「花札」ではなく、広く「カルタ」とされ、地方によって様式もさまざまだったそう。

それが花札になったのは、江戸中期~末期(19世紀はじめ頃)に、カルタ遊びで武士たちが、
も~も~毎晩金子を賭けて遊び呆けてシゴトにならんわ馬鹿者が!と幕府が怒り、とうとう、
カルタ遊びを禁止!カルタそのものもご禁制!となったのだそうですじゃ。

ところがみんな隠れて遊ぶんだなコレが。それでガサ入れとか受けてたりネ。

で、武士達は悪知恵でウラワザをあみだすわけ。これはカルタでなく、百人一首のようなもの、
日本の風情ある花々に、ほらココに和歌が書いてあるでしょ?みたいな事ですヨ。
で、見ると確かに短冊に和歌っぽい字が書いてある。それが「あかよろし」や「みなしの」だと。

昔はそれだけでなく、他の札にも和歌っぽい句が書いてあったそうで。

つまり「あかよろし」や「みなしの」は、どこかの和歌からもってきたものだそうです。
じゃあ、それはどの和歌から持ってきたのか?は、今となってはわからないそう。
それもそのはず、その和歌っぽい句は、単なる言い逃れのためだけに書いてあったんだからネ!

ちなみに桜の短札の「みなしの」は、実は「みよしの」で、美しい吉野の桜の意味なんだそう。
ん~!取って付けてる感バリバリだねぇ!

明治に入って、明治維新で西洋からトランプが入ってくるや否や!も~超ブームに!
明治政府も、こりゃあもう歯止めが利かないネ!ってことで、トランプとともに花札も解禁。
そのかわり、このふたつには重ぉ~い「トランプ類税」を課したのだそう。

しかもその類税、買う人(消費者)ではなく、販売元からの徴収だったおかげで、
花札を作っていた多くの業者がコレで店をたたんだそうな。

その税は1989年(消費税導入)まであって、トランプや花札には納税証紙で封緘されてました。
今でもトランプや花札を買うと、その名残りで封緘されてるモノが多いよネ!



◆「あかよろし」は「志かそすむ」

一説によると「あのよろし」は、平安時代の六歌仙のひとり、喜撰法師という人の詠歌で、
小倉百人一首の八番「わが庵は 都のたつみ 志かそすむ 世を宇治山と 人は云ふなり」
の「志かそすむ」を誰かが読み違えて書き写したのが「あかよろし」なのだと云ふなり。

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ちなみにこの詠歌の意味は…
「俺ん家、都心から離れた閑静な高級住宅街、でもみんなクソ田舎だってバカにするわけ!」
っていうような、ただのボヤキにしか聞こえないような内容だったりします。



そんなわけで、調べれば調べるほどなんかもうワチャワチャして「おちつけ!」みたいなネ!
そんな風説がいっぱい出てきて、なんかもう全部ウソみたいな気がしてきたヨ。



(^ё^)<ま、そういうのもたまにはあかよろし!)